梶野衛青は、神奈川県横浜市港の見える丘公園の人である。UNAG、地球国連アドバンスガードに長くつとめた軍人であった。
少佐のときに、国連政府の計画に従い火星へ赴き、地球側の大使として火星政府との交渉の任にあたった。月戦争後の環境悪化による地球人の火星への一時避難、という一大事業の終盤には、真っ先に地球へ帰還する先遣隊の一員として、一三一方面に降り立っている。それらのために、彼は梶野少佐として有名である。
一説によると、大尉のときに、月面で月人である機械人アミシャダイと交戦したという。しかし梶野衛青の生年は月戦争後であり、これは彼の父親の逸話が混同されたものであろう。
UNAGを退任したあとは、悠悠自適な老紳士として近在に知られた。ときおり、二百有余年を要した火星避難計画や、それ以前の地球時代や人造兵士アートルーパー製造計画について話を訊きにくる者があったが、言葉少なくあまり多くを語らなかった。
死の床にあったとき、銀の光を発する球体に取りまかれた老人が訪ねてきた。彼はその老人としばし歓談をして別れた。旧来の友人であると周囲には言っていた。数日後、飄然として彼は世を去った。来訪者の名は伝えられていない。
『地球火星交流史』より
こんばんは。なぜか突然、中国史書っぽい文章で梶野少佐一代記みたいなんを書きたくなったので、文章をこねくり回してみました。なんちゃってなので、細かいことは気にしないように。
まずツイッターで公開したのですが、ビミョーに長いので、最初からこっちに載せれば良かったですわ。思ったより『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』からの内容になって、『膚の下』要素は横浜くらいしかなかったので、ちょっと増やしてあります。
なお、神奈川県横浜市港の見える丘公園は、先日図書館検索でお世話になった県立神奈川近代文学館があるところなので選びました。これはネタなので、しょっぱなからいやおかしいだろ感が出るところが良いですね。区町は省略してあります。当然『膚の下』を逆さに振っても出てこない地名だし、梶野少佐の出身地等は情報がなくて、なんもわからんですよ。
どうも最後のくだりがやりたかったみたいですが、もう少しやり様があった気もします。やりたかったのは「白雲千載空しく悠悠」(崔顥「黄鶴楼」)みたいな、そういう感じね。最後の老人は十中八九、間明彊志なんですが、別に違ってもいいです、好きな人を当てはめてください。
それでは、このへんで。
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