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火星三部作の『あなたの魂に安らぎあれ』と、『帝王の殻』&『膚の下』のタイトルを使った長歌をこれまで作ってきましたが、三作全てを合わせたタイトル文字数は偶数になってしまうので、全部では長歌が折句できないなーと思ってきました。しかし、ちょっと考えてみました、『膚の下』文庫版についている、上下、じょうげなら三文字だし、これを足したら奇数になるじゃない?
というわけで、「あなたの魂に安らぎあれ帝王の殻膚の下上下」で、またまた長歌を詠んでみました。上下は文庫版(と電子書籍版)しか関係ないので、単行本は勘定に入れないことになりますが、まあしかたありません。思いついたので。新たなる波は来れりたたなずく望みの秋(とき)のたたわしきまことの姿しめやかにいまこそ帰らめにぎやかに闇のさなかを進みゆくラストシーンは銀幕の淡きひかりに玲瓏と手に手をそえていざないの恐れはすでに失せにして残る全ては隠(かく)り世へ来世をめざしはるばると大慈のもとのエピタフはのちのためにと記されぬたとえさあれど嫋嫋(じょうじょう)と現(うつ)し世もまたげに夢なりて
苦しみもわがものなれば濡れ羽色のうつろうまでは捨てずもあらなん
転変の定め静かにおとないてキリンは駆けぬ夢のごとくに今回は、反歌を二首つけてみました。火星三部作全体を詠んだ感じになりますが、ラストシーンと言っているように、あな魂やや多めです。反歌二首でうつろうとか転変と言っているのもそれでです。
たたなずくは折り重なったという意味で、たたわしきは立派なとかすばらしい、隠り世はあの世のことです。ときを秋と書いているのは、秋川(と秋沙)にかけてあって、大慈も慧慈にかけてあります。濡れ羽色は露骨にカラスの暗示です。
ただ、長歌がタイトル折句ということで、無理していてイメージに流れているため、反歌二首は火星三部作と関係なくても成立するように詠んでみました。
さすがにタイトル折句で長歌は何度もやりましたので、そろそろただ長歌を詠みたいですね。虫麻呂みたいな物語長歌でしょうか、理想は。
それはともかく、ではでは。あらたなる
なみはきたれり
たたなずく
のぞみのときの
たたわしき
まことのすがた
しめやかに
いまこそかえらめ
にぎやかに
やみのさなかを
すすみゆく
らすとしーんは
ぎんまくの
あわきひかりに
れいろうと
てにてをそえて
いざないの
おそれはすでに
うせにして
のこるすべては
かくりよへ
らいせをめざし
はるばると
だいじのもとの
えぴたふは
のちのためにと
しるされぬ
たとえさあれど
じょうじょうと
うつしよもまた
げにゆめなりて -
ついに最後までやってきました。もう少しお付き合いください。
「わたしがわかるか。梶野だ。きみと前に会ったときは大尉だった」
「さあな。おれの先祖はたしかにあなたと交戦したかもしれん」
「先祖か。そうなのか……機械人は、そうなのか――生きているんだな。それがわからなかった」
「まだ生きてるよ」
「失礼した。地球代表として、アイサック・システムの破棄検証に立ち会わせてもらう。幸運を祈る。きみの魂に加護があらんことを」
「のんびり見ていてくれ。恒巧、きみの魂に安らぎあれ、だ」
「……なんだ?」と恒巧。
「地球流のあいさつだ。ふと思い出した。地球人は月人がそのあいさつをするのを禁じたような気がする。昔の話だ」
(『帝王の殻』単行本初版 #8 pp.380-381)
「わたしがわかるか、アミシャダイ。梶野少佐だ。きみがかつてのアミシャダイではないにしても、機械人ならば、わたしを記憶しているはずだ」
「梶野少佐か――思い出した。わたしはアミシャダイだ」
「地球人の代表として、アイサック・システムの破棄検証に立ち会わせてもらう。きみの幸運を祈っている」
「昔のあなたは、機械人の幸運など、絶対に祈らなかったな。あなたはいまも大きな権限を持っているようだが、地球を救ったのはあなたではない。それを忘れるな」
「忘れてはいない。だから、きみの幸運を祈る」
「なるほど。ではわたしは、恒巧、あなたの魂に安らぎあれと、祈ろう」
「……なんだ?」と恒巧。
「わたしと地球人を救ってくれた、救世主の祈りだ。わたしはそれに倣っただけだ」
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #8 p.416)文庫二刷のアミシャダイ(書きかえられている)は、「昔のあなたは」だの「それを忘れるな」だの「なるほど」だの、よく言えたものね。あなた昔はそんなこと一言も言ってなかったわ。デコピンするわよ!
ゴホン、失礼しました。新版の『帝王の殻』を読んだ人は、新版の描写が『帝王の殻』なわけですし、単に私は旧版の描写を先に読んでただけですし。先に出会ったほうが印象が深かったり思い入れが強かったりするだけですから。
それはともかく、何度も同じことを言いますが、アミシャダイは月人の指導者設定と、月戦争を経験した梶野少佐設定をなかったことにして、『膚の下』での描写に合わせたために、こういうことになったのですね。「きみと前に会ったときは大尉だった」「先祖か。そうなのか……機械人は、そうなのか――生きているんだな。それがわからなかった」な梶野少佐が、私は好きだったのです。「きみの魂に加護があらんことを」
次行きます。
「彼は大丈夫ですよ」梶野少佐。「月の夜でも平気だった」
(『帝王の殻』単行本初版 #8 p.384)
「彼は大丈夫ですよ」梶野少佐。「機械人には機械人の守護神がいる」
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #8 p.420)新旧版比較はここで打ち止めなのですが、もうおなじみの月戦争カットのため、梶野少佐の月人の指導者アミシャダイを評した「月の夜でも平気だった」というセリフが、「機械人には機械人の守護神がいる」になってしまいました。過去に梶野少佐(旧版)とアミシャダイ(旧版)のあいだに何があったんですか? それに、梶野少佐苦しいです、「守護神」て、今までそんな前振りなかったよ? それはそれとして「機械人には機械人の守護神がいる」はちょっと格好良い、臭いセリフだと思いますので、悪い気はしないですが。
さて、これまで『帝王の殻』が『膚の下』に合わせて書きかえられたところを見てきました。旧版の『帝王の殻』にあった、アミシャダイは月人の指導者で、梶野少佐は月戦争経験者で、二人はかつて月戦争時代に出会っていたという(私にとって)重要な設定がなかったことになり、新版の『帝王の殻』に改訂されているということですね。
もちろん私は、新版の梶野少佐のことも好きですし、一度発表した作品に後から作者が手を入れることはよくあることですし、作者にはその権限があるのですし、なにも悪いことだとは思いません。しかし、私は旧版の『帝王の殻』が書きかえられたことを忘れないし、これからも折りに触れて言っていくつもりです。
長長とここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。 -
またまたアミシャダイです。
…人間は自分の心を偽ることができる。不思議な能力だとアミシャダイは思う。偽っていることに自分自身で気づかないようだ。それでもそうすることでなんらかの歪が生じるにちがいないのだ。それが不安や恐怖だと、恒巧に聞かされたことがあった。 機械人にはそれはない。わけのわからない不安というものはなかった。そのはずだ、だが、月人の記憶が浮かび上がってきたときの不安はこれに似たものだったとアミシャダイは思う。危うい心の状態だ。そこにつけ入れば、どのようにも操ることができるだろう。
アイサック=真人はこのようにして人間に恐怖を吹きこんでいる。機械人の自分にも。
(『帝王の殻』単行本初版 #8 p.352)…人間は自分の心を偽ることができる。不思議な能力だとアミシャダイは思う。偽っていることに自分自身で気づかないようだ。それでもそうすることでなんらかの歪が生じるにちがいないのだ。それが不安や恐怖だと、恒巧に聞かされたことがあった。機械人には人間のこういう不安はわからないだろう、と。たしかに自分が自身を偽っていることに気づかない、ということは機械人にはないのだが、しかしいまのアミシャダイには、この感覚が理解できた。オリジナルのアミシャダイの記憶が曖昧で、いわば本物の自分から見放されたような感じ、それが不安だ。
アイサック=真人は相手のそうした不安につけ入って恐怖を煽り、操っているのだ。
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #8 p.385)引用箇所前半部分の「人間は…ことがあった」は、文章が変更されてはいないのですが、あったほうがわかりやすいので、つけています。アミシャダイが、自分の不安な気持ちについて思いをめぐらせているシーンですね。
単行本初版の「機械人にはそれはない。わけのわからない不安というものはなかった。そのはずだ、だが、月人の記憶が浮かび上がってきたときの不安はこれに似たものだったとアミシャダイは思う」が、アミシャダイの月人の指導者設定がなかったことになったため、文庫二刷ではないことになりました。そして恒巧が「機械人には人間のこういう不安はわからないだろう」と言ったことになっています(そんなこと、彼、言ってなかったわよ)。
文庫二刷のアミシャダイは、「たしかに自分が自身を偽っていることに気づかない、ということは機械人にはないのだが」と続けて、前半の「人間は自分の心を偽ることができる。不思議な能力だとアミシャダイは思う。偽っていることに自分自身で気づかない」の部分を補足して、さらに「オリジナルのアミシャダイの記憶が曖昧で、いわば本物の自分から見放されたような感じ、それが不安だ」と、文庫初版の「そのはずだ、だが」「似たもの」「思う」とわりとあんまり言い切らないアミシャダイと比べると、いやにきっぱりしています。これまでも見てきたように、改訂された文章は断定的になっているように感じられますね。それは『膚の下』に合わせなければならない、という要請によるものなのでしょう。
しかし、説明が断定的になったために、単行本初版の「危うい心の状態だ。そこにつけ入れば、どのようにも操ることができるだろう。/アイサック=真人はこのようにして人間に恐怖を吹きこんでいる。機械人の自分にも」が、文庫二刷では「アイサック=真人は相手のそうした不安につけ入って恐怖を煽り、操っているのだ」になってしまいました。文庫二刷のほうは、説明文としては過不足なくていいんですけど、アミシャダイの描写としては、あんまり面白味がなくなっているように思うのですね。
もう何度も同じことを言ってきましたが、要は、アミシャダイはかつて月人の指導者だった設定、をなかったことにしたために、アミシャダイにまつわる文章が改訂されることになったわけですね。全くクールさがなく終わり、8へ続く。
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梶野少佐と恒巧のやりとりについて、やっていきます。
「アミシャダイか。強敵でした。月人の指導者だった。あの戦争は大きな過ちだったと思います」
「アミシャダイは昔のその月人とはちがうよ。姿は同じでも内部でつねに生まれ変わっているんだ。彼はアイサックを止めに行っていると思う。機械人でも狂った機械知性は敵なんだ。機械でも独立すれば彼自身の人生が生じる。アイサックもそうだろう……しかしあいつはわたしの息子の身体を乗っ取った。アイサックが息子の同意を得てそうしたとは思えない。仮にそうだとしても、息子はまだ二歳半だ。地球年齢でいえばまだ五歳なんだ。言いくるめるのはたやすい。そんな契約は無効だ。親として無効にするのが当然だろう」
「機械知性が人間の肉体を支配するのは可能です。月人との戦いはその不安と恐怖が引き金になったのです……しかし機械知性がそのハードウェアから完全に抜け出して人間の肉体内に乗り移るというのは、われわれには経験がない」
(『帝王の殻』単行本初版 #7 pp.336-337)「アミシャダイか。過去にいたし、いまもいる。そう、未来にもいるでしょうね」
「あなたは月人だったアミシャダイと戦ったことがあるんだな?」
「わたしは月戦争後の混乱した時代に生まれた世代です。機械人と直接交戦した経験はない。ですが、アミシャダイとは、非常に緊迫した関係にありました」
「いまのアミシャダイは、あなたが知っている機械人ではないよ。名前は同じでも心身共に生まれ変わっているんだ。機械でもそのような成長手段をもっていれば、それ自身の生が生じる。アイサックもそうだろう……しかしあいつはわたしの息子の身体を乗っ取った。アイサックが息子の同意を得てそうしたとは思えない。息子はまだ二歳半だ。もし息子が許可したのだとしても、そんな契約は無効だ。親のわたしが拒否する」
「機械人の意識は、すべての機械人と共有できる、というのは知っています。ですが、機械知性の意識が人間の肉体に乗り移るなどというのは、われわれには経験がない」
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #7 pp.368-369)ここ、大事なところです。梶野少佐が恒巧に対して、「アミシャダイか。強敵でした。月人の指導者だった。あの戦争は大きな過ちだったと思います」と言うか、「アミシャダイか。過去にいたし、いまもいる。そう、未来にもいるでしょうね」と言うか、この大きな違い。どっちかっつうと、「過去にいたし、いまもいる。そう、未来にもいる」のはあなたのほうや梶野少佐!ってなるところです。あ、すみません、私だけですかね。
でも、月戦争を経験していないことになった梶野少佐は、「わたしは月戦争後の混乱した時代に生まれた世代です。機械人と直接交戦した経験はない」ことになった新版の梶野少佐は、「過去(『膚の下』)にいたし、いま(『帝王の殻』)もいる。そう、未来(『あなたの魂に安らぎあれ』)にもいる」のですから。アミシャダイのことを言いつつ、梶野少佐自身のエクスキューズになっているのです。これは三部作全体を考える上で、とても重要な変更箇所です。そこはともかく、次、恒巧のセリフに行きます。単行本初版の「アミシャダイは昔のその月人とはちがうよ」というセリフを、文庫二刷では「あなたは月人だったアミシャダイと戦ったことがあるんだな?」と、機械人=月人という設定をキープしつつ、アミシャダイとは戦ってないことになった梶野少佐を引き出すために、変更されています。あとはだいたい、単行本初版の「姿は同じでも内部でつねに生まれ変わっている」「機械でも独立すれば彼自身の人生が生じる」と、文庫二刷の「姿は同じでも心身共に生まれ変わっている」「機械でもそのような成長手段をもっていれば、それ自身の生が生じる」と、少し文章が書きかえられつつも同じ内容なのですが、単行本初版の「機械人でも狂った機械知性は敵なんだ」が消えています。このシーンでは、狂った機械知性=アイサックであり、それは機械人にとっても敵となるから「彼(=アミシャダイ)はアイサックを止めに行っている」と恒巧が考えているのですが、その流れを文庫二刷では採用していないということです。
というのも、これは恒巧のセリフを受けた梶野少佐の「機械知性が人間の肉体を支配するのは可能です。…」というセリフを引き出すためのものだからです。梶野少佐が月戦争に参加していないことになって、機械人=月人の設定はキープされつつも、「機械人の意識は、すべての機械人と共有できる」ような『膚の下』の機械人になったからには、「月人との戦いはその不安と恐怖が引き金にな」る必要もなくなったというわけです。
私はこの、アミシャダイを「強敵でした」と言い、「あの戦争は大きな過ちだったと思います」と言う梶野少佐が好きだったので、『膚の下』に合わせて改訂されてしまったことは、実に残念なことだと思います。ともかく、恒巧のセリフの後半に行きます。単行本初版の「地球年齢でいえばまだ五歳なんだ」が消えているのは、もうなくてもわかるだろうとの判断で削除されているのでしょうが、「言いくるめるのはたやすい。そんな契約は無効だ。親として無効にするのが当然だろう」が、文庫二刷では「もし息子が許可したのだとしても、そんな契約は無効だ。親のわたしが拒否する」となっていて、恒巧の言い方が非常に断定的になっています。「だろう」なんて気弱に言っている場合じゃない、「拒否する」と言い切っています。その違いに関して、私には何の思い入れもありませんが、真人の父親である恒巧にとっては、変えられて良かった部分ではないでしょうか。
熱くなってしまったので次回はクールに、7に続く。
