ついに最後までやってきました。もう少しお付き合いください。
「わたしがわかるか。梶野だ。きみと前に会ったときは大尉だった」
「さあな。おれの先祖はたしかにあなたと交戦したかもしれん」
「先祖か。そうなのか……機械人は、そうなのか――生きているんだな。それがわからなかった」
「まだ生きてるよ」
「失礼した。地球代表として、アイサック・システムの破棄検証に立ち会わせてもらう。幸運を祈る。きみの魂に加護があらんことを」
「のんびり見ていてくれ。恒巧、きみの魂に安らぎあれ、だ」
「……なんだ?」と恒巧。
「地球流のあいさつだ。ふと思い出した。地球人は月人がそのあいさつをするのを禁じたような気がする。昔の話だ」
(『帝王の殻』単行本初版 #8 pp.380-381)
「わたしがわかるか、アミシャダイ。梶野少佐だ。きみがかつてのアミシャダイではないにしても、機械人ならば、わたしを記憶しているはずだ」
「梶野少佐か――思い出した。わたしはアミシャダイだ」
「地球人の代表として、アイサック・システムの破棄検証に立ち会わせてもらう。きみの幸運を祈っている」
「昔のあなたは、機械人の幸運など、絶対に祈らなかったな。あなたはいまも大きな権限を持っているようだが、地球を救ったのはあなたではない。それを忘れるな」
「忘れてはいない。だから、きみの幸運を祈る」
「なるほど。ではわたしは、恒巧、あなたの魂に安らぎあれと、祈ろう」
「……なんだ?」と恒巧。
「わたしと地球人を救ってくれた、救世主の祈りだ。わたしはそれに倣っただけだ」
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #8 p.416)
文庫二刷のアミシャダイ(書きかえられている)は、「昔のあなたは」だの「それを忘れるな」だの「なるほど」だの、よく言えたものね。あなた昔はそんなこと一言も言ってなかったわ。デコピンするわよ!
ゴホン、失礼しました。新版の『帝王の殻』を読んだ人は、新版の描写が『帝王の殻』なわけですし、単に私は旧版の描写を先に読んでただけですし。先に出会ったほうが印象が深かったり思い入れが強かったりするだけですから。
それはともかく、何度も同じことを言いますが、アミシャダイは月人の指導者設定と、月戦争を経験した梶野少佐設定をなかったことにして、『膚の下』での描写に合わせたために、こういうことになったのですね。「きみと前に会ったときは大尉だった」「先祖か。そうなのか……機械人は、そうなのか――生きているんだな。それがわからなかった」な梶野少佐が、私は好きだったのです。「きみの魂に加護があらんことを」
次行きます。
「彼は大丈夫ですよ」梶野少佐。「月の夜でも平気だった」
(『帝王の殻』単行本初版 #8 p.384)
「彼は大丈夫ですよ」梶野少佐。「機械人には機械人の守護神がいる」
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #8 p.420)
新旧版比較はここで打ち止めなのですが、もうおなじみの月戦争カットのため、梶野少佐の月人の指導者アミシャダイを評した「月の夜でも平気だった」というセリフが、「機械人には機械人の守護神がいる」になってしまいました。過去に梶野少佐(旧版)とアミシャダイ(旧版)のあいだに何があったんですか? それに、梶野少佐苦しいです、「守護神」て、今までそんな前振りなかったよ? それはそれとして「機械人には機械人の守護神がいる」はちょっと格好良い、臭いセリフだと思いますので、悪い気はしないですが。
さて、これまで『帝王の殻』が『膚の下』に合わせて書きかえられたところを見てきました。旧版の『帝王の殻』にあった、アミシャダイは月人の指導者で、梶野少佐は月戦争経験者で、二人はかつて月戦争時代に出会っていたという(私にとって)重要な設定がなかったことになり、新版の『帝王の殻』に改訂されているということですね。
もちろん私は、新版の梶野少佐のことも好きですし、一度発表した作品に後から作者が手を入れることはよくあることですし、作者にはその権限があるのですし、なにも悪いことだとは思いません。しかし、私は旧版の『帝王の殻』が書きかえられたことを忘れないし、これからも折りに触れて言っていくつもりです。
長長とここまでお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
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