またまたアミシャダイです。
…人間は自分の心を偽ることができる。不思議な能力だとアミシャダイは思う。偽っていることに自分自身で気づかないようだ。それでもそうすることでなんらかの歪が生じるにちがいないのだ。それが不安や恐怖だと、恒巧に聞かされたことがあった。 機械人にはそれはない。わけのわからない不安というものはなかった。そのはずだ、だが、月人の記憶が浮かび上がってきたときの不安はこれに似たものだったとアミシャダイは思う。危うい心の状態だ。そこにつけ入れば、どのようにも操ることができるだろう。
アイサック=真人はこのようにして人間に恐怖を吹きこんでいる。機械人の自分にも。
(『帝王の殻』単行本初版 #8 p.352)
…人間は自分の心を偽ることができる。不思議な能力だとアミシャダイは思う。偽っていることに自分自身で気づかないようだ。それでもそうすることでなんらかの歪が生じるにちがいないのだ。それが不安や恐怖だと、恒巧に聞かされたことがあった。機械人には人間のこういう不安はわからないだろう、と。たしかに自分が自身を偽っていることに気づかない、ということは機械人にはないのだが、しかしいまのアミシャダイには、この感覚が理解できた。オリジナルのアミシャダイの記憶が曖昧で、いわば本物の自分から見放されたような感じ、それが不安だ。
アイサック=真人は相手のそうした不安につけ入って恐怖を煽り、操っているのだ。
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #8 p.385)
引用箇所前半部分の「人間は…ことがあった」は、文章が変更されてはいないのですが、あったほうがわかりやすいので、つけています。アミシャダイが、自分の不安な気持ちについて思いをめぐらせているシーンですね。
単行本初版の「機械人にはそれはない。わけのわからない不安というものはなかった。そのはずだ、だが、月人の記憶が浮かび上がってきたときの不安はこれに似たものだったとアミシャダイは思う」が、アミシャダイの月人の指導者設定がなかったことになったため、文庫二刷ではないことになりました。そして恒巧が「機械人には人間のこういう不安はわからないだろう」と言ったことになっています(そんなこと、彼、言ってなかったわよ)。
文庫二刷のアミシャダイは、「たしかに自分が自身を偽っていることに気づかない、ということは機械人にはないのだが」と続けて、前半の「人間は自分の心を偽ることができる。不思議な能力だとアミシャダイは思う。偽っていることに自分自身で気づかない」の部分を補足して、さらに「オリジナルのアミシャダイの記憶が曖昧で、いわば本物の自分から見放されたような感じ、それが不安だ」と、文庫初版の「そのはずだ、だが」「似たもの」「思う」とわりとあんまり言い切らないアミシャダイと比べると、いやにきっぱりしています。これまでも見てきたように、改訂された文章は断定的になっているように感じられますね。それは『膚の下』に合わせなければならない、という要請によるものなのでしょう。
しかし、説明が断定的になったために、単行本初版の「危うい心の状態だ。そこにつけ入れば、どのようにも操ることができるだろう。/アイサック=真人はこのようにして人間に恐怖を吹きこんでいる。機械人の自分にも」が、文庫二刷では「アイサック=真人は相手のそうした不安につけ入って恐怖を煽り、操っているのだ」になってしまいました。文庫二刷のほうは、説明文としては過不足なくていいんですけど、アミシャダイの描写としては、あんまり面白味がなくなっているように思うのですね。
もう何度も同じことを言ってきましたが、要は、アミシャダイはかつて月人の指導者だった設定、をなかったことにしたために、アミシャダイにまつわる文章が改訂されることになったわけですね。
全くクールさがなく終わり、8へ続く。
コメント