梶野少佐と恒巧のやりとりについて、やっていきます。
「アミシャダイか。強敵でした。月人の指導者だった。あの戦争は大きな過ちだったと思います」
「アミシャダイは昔のその月人とはちがうよ。姿は同じでも内部でつねに生まれ変わっているんだ。彼はアイサックを止めに行っていると思う。機械人でも狂った機械知性は敵なんだ。機械でも独立すれば彼自身の人生が生じる。アイサックもそうだろう……しかしあいつはわたしの息子の身体を乗っ取った。アイサックが息子の同意を得てそうしたとは思えない。仮にそうだとしても、息子はまだ二歳半だ。地球年齢でいえばまだ五歳なんだ。言いくるめるのはたやすい。そんな契約は無効だ。親として無効にするのが当然だろう」
「機械知性が人間の肉体を支配するのは可能です。月人との戦いはその不安と恐怖が引き金になったのです……しかし機械知性がそのハードウェアから完全に抜け出して人間の肉体内に乗り移るというのは、われわれには経験がない」
(『帝王の殻』単行本初版 #7 pp.336-337)
「アミシャダイか。過去にいたし、いまもいる。そう、未来にもいるでしょうね」
「あなたは月人だったアミシャダイと戦ったことがあるんだな?」
「わたしは月戦争後の混乱した時代に生まれた世代です。機械人と直接交戦した経験はない。ですが、アミシャダイとは、非常に緊迫した関係にありました」
「いまのアミシャダイは、あなたが知っている機械人ではないよ。名前は同じでも心身共に生まれ変わっているんだ。機械でもそのような成長手段をもっていれば、それ自身の生が生じる。アイサックもそうだろう……しかしあいつはわたしの息子の身体を乗っ取った。アイサックが息子の同意を得てそうしたとは思えない。息子はまだ二歳半だ。もし息子が許可したのだとしても、そんな契約は無効だ。親のわたしが拒否する」
「機械人の意識は、すべての機械人と共有できる、というのは知っています。ですが、機械知性の意識が人間の肉体に乗り移るなどというのは、われわれには経験がない」
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #7 pp.368-369)
ここ、大事なところです。梶野少佐が恒巧に対して、「アミシャダイか。強敵でした。月人の指導者だった。あの戦争は大きな過ちだったと思います」と言うか、「アミシャダイか。過去にいたし、いまもいる。そう、未来にもいるでしょうね」と言うか、この大きな違い。どっちかっつうと、「過去にいたし、いまもいる。そう、未来にもいる」のはあなたのほうや梶野少佐!ってなるところです。あ、すみません、私だけですかね。
でも、月戦争を経験していないことになった梶野少佐は、「わたしは月戦争後の混乱した時代に生まれた世代です。機械人と直接交戦した経験はない」ことになった新版の梶野少佐は、「過去(『膚の下』)にいたし、いま(『帝王の殻』)もいる。そう、未来(『あなたの魂に安らぎあれ』)にもいる」のですから。アミシャダイのことを言いつつ、梶野少佐自身のエクスキューズになっているのです。これは三部作全体を考える上で、とても重要な変更箇所です。
そこはともかく、次、恒巧のセリフに行きます。単行本初版の「アミシャダイは昔のその月人とはちがうよ」というセリフを、文庫二刷では「あなたは月人だったアミシャダイと戦ったことがあるんだな?」と、機械人=月人という設定をキープしつつ、アミシャダイとは戦ってないことになった梶野少佐を引き出すために、変更されています。あとはだいたい、単行本初版の「姿は同じでも内部でつねに生まれ変わっている」「機械でも独立すれば彼自身の人生が生じる」と、文庫二刷の「姿は同じでも心身共に生まれ変わっている」「機械でもそのような成長手段をもっていれば、それ自身の生が生じる」と、少し文章が書きかえられつつも同じ内容なのですが、単行本初版の「機械人でも狂った機械知性は敵なんだ」が消えています。このシーンでは、狂った機械知性=アイサックであり、それは機械人にとっても敵となるから「彼(=アミシャダイ)はアイサックを止めに行っている」と恒巧が考えているのですが、その流れを文庫二刷では採用していないということです。
というのも、これは恒巧のセリフを受けた梶野少佐の「機械知性が人間の肉体を支配するのは可能です。…」というセリフを引き出すためのものだからです。梶野少佐が月戦争に参加していないことになって、機械人=月人の設定はキープされつつも、「機械人の意識は、すべての機械人と共有できる」ような『膚の下』の機械人になったからには、「月人との戦いはその不安と恐怖が引き金にな」る必要もなくなったというわけです。
私はこの、アミシャダイを「強敵でした」と言い、「あの戦争は大きな過ちだったと思います」と言う梶野少佐が好きだったので、『膚の下』に合わせて改訂されてしまったことは、実に残念なことだと思います。
ともかく、恒巧のセリフの後半に行きます。単行本初版の「地球年齢でいえばまだ五歳なんだ」が消えているのは、もうなくてもわかるだろうとの判断で削除されているのでしょうが、「言いくるめるのはたやすい。そんな契約は無効だ。親として無効にするのが当然だろう」が、文庫二刷では「もし息子が許可したのだとしても、そんな契約は無効だ。親のわたしが拒否する」となっていて、恒巧の言い方が非常に断定的になっています。「だろう」なんて気弱に言っている場合じゃない、「拒否する」と言い切っています。その違いに関して、私には何の思い入れもありませんが、真人の父親である恒巧にとっては、変えられて良かった部分ではないでしょうか。
熱くなってしまったので次回はクールに、7に続く。
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