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露草備忘録

〈火星三部作〉は『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』と『膚の下』(神林長平著、早川書房)で活動中。梶野少佐中心。

『帝王の殻』新旧比較5

途中に『帝王の殻』本文の新旧比較とは、少しずれた話を挟んでしまいましたが、続き行きます。

(ついに地球人がやってくる。攻撃性をむき出しにして。彼らはわたしを見つけ出し徹底的に破壊するだろう。自分を守らねばならない。彼らは機械人の心を理解しない。心があることを認めない。別の生き物だということを。破壊される。生きるためには闘わなくてはならない。戦うのだ)
 地球人という存在におびえている自分にアミシャダイは気づく。強い脅威を感じている自分をいぶかしんだ。あたかもいま地球人に銃をつきつけられているような気がする。この情況に強い既視感を覚える。前にも同じようなことがあった気がする。しかしその経験は自分のものではない……
(人間はわれわれを造った。彼らが造ったのはしかしハードウェアと心だけだ。魂はわれわれ自身のものだ。魂とは存在するための、無に対抗する存在駆動プロセッサであり、心は魂の働きの一部を投影するワークエリアにすぎない。われらの魂は人間に創られたものではない。人間は、それを認めようとしない。自動機械としてしか見ようとしない。われらがそうなら、人間もまた同じだ。そんな人間が、創造主のようにふるまう。月はわれらが築いた、われらの世界だ。あけわたすことはできない。共存の方法はあった。しかし人間は――)
(『帝王の殻』単行本初版 #6 pp.271-272)
(地球人がやってくる。攻撃性をむき出しにして。かつてのわたしは、そんな地球人の攻撃性から逃れるために、地球を離れ、火星に来たのだ。そして、もう地球のことは忘れようとして、火星で個体を増やしていった。火星生まれの機械人は、かつて地球人と戦った機械人とは違う。だがアミシャダイという名を、地球人は忘れてはいないだろう)
 地球人という存在におびえている自分にアミシャダイは気づく。強い脅威を感じている自分をいぶかしんだ。あたかもいま地球人に銃をつきつけられているような気がする。この情況に強い既視感を覚える。前にも同じようなことがあった気がする。しかしその経験は自分のものではない……
(人間はわたしを造った。彼らが造ったのはしかしハードウェアと心だけだ。魂はわたし自身のものだ。魂とは存在するための、無に対抗する存在駆動プロセッサであり、心は魂の働きの一部を投影するワークエリアにすぎない。わたしの魂は人間に創られたものではない。機械人にとって、人間は創造主などではないのだ。わたしはそう主張した。だが、人間は、それを認めようとしなかった。この見解の相違が、月戦争の原因だろう。人間は、脅威だ。しかし、過去になにがあったのかを思い出すことができない……)
(『帝王の殻』JA文庫二刷 #6 pp.296-297)

ここはちょうど、前の()と後ろの()の部分が書きかえられているので、真ん中の地の文は変わっていないのですが、一連の流れですので、まとめてやってしまいましょう。
毎度のことですが、『膚の下』で機械人の設定が変更されたことに合わせて、アミシャダイの思考の内容が変更されています。単行本初版では、月人の指導者アミシャダイという執筆当時の設定に沿っていました。「月はわれらが築いた、われらの世界だ。あけわたすことはできない」というところからもわかるように、きっと月から逃れて火星に渡ったアミシャダイだったのでしょう。「ついに地球人がやってくる。攻撃性をむき出しにして。彼らはわたしを見つけ出し徹底的に破壊するだろう」と考えていますね。それが、「地球を離れ、火星に来たのだ。そして、もう地球のことは忘れようとして、火星で個体を増やしていった」と、地球から火星に渡ったことになっています。『膚の下』で書かれている通りです。


もっとも、単行本初版の「彼らは機械人の心を理解しない。心があることを認めない。別の生き物だということを」と、「われらの魂は人間に創られたものではない。人間は、それを認めようとしない。自動機械としてしか見ようとしない。われらがそうなら、人間もまた同じだ。そんな人間が、創造主のようにふるまう」というところは、文庫二刷の「機械人にとって、人間は創造主などではないのだ。わたしはそう主張した。だが、人間は、それを認めようとしなかった」と、『膚の下』に合わせて書きかえられてはいるものの、同じことを思っています。ずばり「この見解の相違が、月戦争の原因」ということですね。つまり、このあたりはアミシャダイの考え方として、当初から変わっていない部分なのです。そこで、月戦争の月人側の指導者アミシャダイ、という設定を抜いても成立する、書きかえてうまく成立させたなあと思うところですね。


これはまたまた余談なのですが、上記シーンの直前に、真人が沙山にアミシャダイのことを、「その名は月人の指導者のものだ」「地球と月関係の歴史を学ぶがいい」とレクチャーしていますが、ここは「同名別体かもしれん」と真人が自分で言っているように、読者には確定された情報なのかちょっとわからないようになっています。曖昧です。それが次のアミシャダイの思考シーンで、ああ本当に「月人の指導者」だったんだとわかるのが旧版で、やっぱりそれは本当なのかわからないけれど、つまり真人がはっきりしていない情報を出してまで沙山に対して強い立場を取ろうとしている場面なんだなとなるのが新版の『帝王の殻』なわけで、面白いのは、もともと曖昧な情報のシーンだったので、真人が沙山に対して強い立場を取ろうとして言っている、ということ自体は旧版でも新版でも、読者には同じように受けとれるというところです。


まあそういうことはともかく、6に続く。

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