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今日は18時頃に自転車で夕闇の街並みを走っていたら、曲り角をまがったとたんちょうど雲の切れまからぱっと輝く満月が見えて、わあぁすごい、と寒いのにしばし立ち止まって観賞。そして、こんな綺麗なものを、人間が破壊してしまった未来世界はやっぱり嫌だなあと思いました。
なんであんなにチャイナさんはお気楽なんだろ? というのは違う話なので置いておいて、『ムーン・ロスト』(星野之宣、講談社)あたりを読んでいると、月がなくなったらすごいことになってしまうみたいですから、さだめし〈火星三部作〉の地球もすごいことになったんだろうなと、ぼんやり想像してます。
そこで、『膚の下』限定で失われし月について、少しばかり思うところを書いていきます。なぜ『膚の下』だけかというと、これはアニメ「膚の下」における梶野少佐女性化計画とも関係するのですが、『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』と『膚の下』の三作を比較した時、『膚の下』の女性キャラクター含有率の低さが問題であると考えられるからです。
もちろんそれは、『あな魂』の秋川絹子や五月恵(メグ)、『帝王の殻』の秋沙真里奈や板津美也のような女性登場人物の内的独白が、『膚の下』ではほとんど慧慈視点であるために存在しない、要らないということによるものでしょう。
しかし、それにしたって実加とマ・シャンエ以外は通りすがりの早樹やミウもいるけれど、もっと普通に出てきといても罰は当たらないとは思いませんか?
また周知のとおり月は、まあ日本神話とかでは月の神様が男神(月読尊)だったり、月そのものを擬人化すると男の人(月人男/月男)にされたりもしますが、大概は女性性と結びつけられていますね。
つまり『膚の下』においては女性≒母親の不在と、月の不在が響き合っているのです。さて、母親の不在は三部作中『膚の下』だけの目立った特徴です。え、早樹やミウは母親だったじゃないか、ですか?
では話をよりわかりやすくするために、〈火星三部作〉の(新版)文庫の各登場人物表を例にとりましょう。登場人物表に占める女性キャラの割合をとると、『あな魂』が約40%、『帝王の殻』が約10%、『膚の下』が約8%となります。『あな魂』だけが突出しているようにも見えますが、そのうちの母親(義理含む)の割合で見ると、『あな魂』が約60%、『帝王の殻』が50%ですが、『膚の下』は0%ですね。
もしも『あな魂』の登場人物表は大人数を載せすぎなんだ、もっと重要キャラだけに絞るべきだと考えても、絹子と舞子とメグと舞の4名は外せない以上、母親率はやはり50%はあるのです。
『膚の下』で同じことを言ったとしましょう、掲載を重要登場人物のみに絞って早樹やミウが載るわけありませんよ。確かにある種のバランスを、早樹とミウで取っているようではありますけれど。それはさておき、実加は後日談によれば将来母親になる存在ですが、本編では単なる若い女性であり、マ・シャンエ・ウーは母親ではない女性です。
マ・シャンエの情報は少ないですが、もしもウー中尉との間に子供がいたなら、あんな風に慧慈を恨んで自ら復讐に手を染めるようなことは、子供の世話があるのにできたもんじゃありません。また、長尾師勝を色仕掛けで籠絡するあたりの、シャンエの自分の身体に対するぞんざいな扱いぶり、それでいて久良知大佐へは「わたしの身体が目的だろう」(下巻p.580)と侮蔑をこめて罵倒し、「取り戻せるというなら、処女の身体と若い夫を返せ」(下巻p.582)と慧慈に向かって叫ぶということを考え合わせると、シャンエはまだ母親ではないのではなく、何らかの(身体的?)理由で母親になれない、なれなかった女性なのではないかと推測されます。
望んでも母親になれなかった、愛する夫を突然奪われた女性に、外野がいったい何を言えるというのでしょうか。ましてその存在が不自然極まりない人工物であるアートルーパーに? だからこそ慧慈は、ただ生きてあることを根拠にする以外には、マ・シャンエに立ち向かうことができなかったし、またそうするべきではなかったのです。おおっと、思いがけずマ・シャンエ擁護を熱く行なってしまったので、本来考えていたところにたどりつく前に力尽きました。
母親の不在と月の不在に関しては、後日続きを書きます。
今回はこれまで。ではでは。PR -
リチャード・バーガディシュは齢二十二の時、故郷と故郷の森を捨て、FAFに入った。ここに、彼はみずからの精神と孤独を享受して、四年にして倦むことを知らなかった。
と書きだしてみたものの、続かない。だいたい特殊戦やったら誰にでも当てはまりそうやがな。
訳文のおおもとは新潮文庫ので、ちょっと微妙に変えてあります。
それはともかく、バーガディシュ少尉はフェアリイに4年目ぐらいの印象があるのだけど、それで良かっただろうか自信がない。またそのうち確認しておきます。とりあえず、新年しょっぱな近所の新古書店に行って、某アニメ雑誌の「DVD鑑定団」とかいう記事の雪風OVAの回を読んで、星の数(多すぎる)を平均してみてわざわざ腹を立てるあたり、自分はMなんだろうかと思う。そんな人間のために。
にしても、いつにも増してワケのわからんこの文章はなんなんだ。
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アニメ「膚の下」で梶野少佐が女性になった場合、私のイメージはこんな感じです。年明け早々なので、ムダに大きいサイズのままにしてみました。
髪の長さはボブでも良いかなあと思いつつ、これくらいあると戦闘服の時はポニーテールにできますからね。
あんまり切れ者とか、出来る女性っぽくないですけど、まあ、もともと梶野少佐の姉上のイメージを流用してますので。それと、少佐ですから、素子さんと比べられたくないし、デザイン傾向は遠い方が良かんべと思います。
それにしても、梶野少佐は『膚の下』ではへたれだとか失敗ばかりじゃねーかとか言われてて(涙)、私としてはそこは全然気にならないけど、アニメで女性化されたら主要な女性キャラなのに良いとこないみたいに見られちゃうのは、やはり同じ女性としてはちょっと釈然としないです。
って、別に決まった話でもないのに勝手に先走りしすぎだっつーの。ところでこの絵は、病院で間明少佐を見つけて、医師と話していた顔とは打って変わってぱっと明るくなったところ。
「彊志、ここだ、ここだ」
って、ん? なんか下の名前で呼ぶのは、男の人同士ならともかく、女の人の場合、日本人やと違和感ありますねぇ。いえ、小説の方でも梶野少佐(男性)ってば、間明少佐のこと下の名前で呼んじゃうんだ、と思いましたけれど。
間明少佐は間明少佐で、梶野少佐のことを「衛青」って呼ぶシーンがあって、あんまり仲良くしたくないとか言ってたわりに、下の名前でも呼ぶのね、男の友情は分からんなぁと思ってました。
おお、そういや、女性化梶野少佐の名前はどうしたものでしょうか。衛青があまりにもぴったりしてるので変えたくないけど、男性名以外の何ものでもないですし。
表記はそのままに読みだけ変えて衛青(えいと)とか、衛青(まもる)と読ませたり…。うーん無理がある。 -
私はどうやら、アプロを真面目に描く気がないことが判明しました。もっとも、ラテルあたりは全然やってないのですから、描いてみるだけ扱いが良いのかもしれません。
ま、それはともかく、ウシ年の年賀状を少しフライング気味で。
2009年の抱負は、ビデオの「敵は海賊」全6巻を観ることと、文庫や単行本の未読の神林作品を読むことと、『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』の新旧版比較考察をやって、できたら『膚の下』の「SFマガジン」連載版の全文チェックもして、あとは梶野少佐をもっとメジャーな存在にすることです。最後だけ非現実的なめまい感が起きるのですが、なぜなんでしょう。
あ、そうそう、〈火星三部作〉は当然ながら、さらに〈雪風〉と〈敵は海賊〉関係もこれから充実させていきたいです。
それでは新年もよろしくお願いいたします。
