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露草備忘録

〈火星三部作〉は『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』と『膚の下』(神林長平著、早川書房)で活動中。梶野少佐中心。

『完璧な涙』読後感想

4月24日読了。
ずっと主人公の名前の「宥現」を、目録や裏表紙の紹介文では振り仮名がないため、てっきり「ゆうげん」と読むと思っていました。しかし、書店でもう少し中身に目を通した時、「ゆうげん」ではなく「ひろみ」と読むと知って、へえそうだったのかそれならなぜか今まで縁が薄かったけれど、よし読み進めていこう。となったのは良いものの、結局のところ、読書中ずっと宥現が「ゆうげん」としか読めなくて辛かったデス。
なんだか身近な名前すぎて、脳内で漢字表記と結びつけられずじまいで辛い。フルネームの、本海宥現(もとみひろみ)ってのも、みの音が韻を踏んでるけど、逆にあんまり響きとして好きではないし。今から、もとみゆうげんにならんかね。なりませんよ。
で、そのせいかどうなのか、なんとなくいまいち乗り切れませんでした。
はっ、わかったわ、猫が登場しないからよ! て、んなわけねー。
ということで、以下、連作長編を形成する四話を特に区別せず、ごちゃまぜでいつものように簡単に適当かつ皮相的な感想を書きます。(※ネタバレ注意)


まず、銀妖子のイメージが、何でかさるぼぼみたいなんですが、どうしたらいいですか!?
知りません!
という飛騨高山なことはともかく、やっぱり兄が消える件。
ところで、主人公のゆうげん(違)は、生まれつき無感動症で感情がわからなくて涙も流せないつうことで、白翁が流してみせた人工涙の作り方、あれでは塩水を煮ても、蓋の裏につくのはあんまり塩分なくね? まあいいや、ゆうげん(違)が作るわけじゃないしな。
解説で巽孝之さんが「イマジネーション豊か」と書かれているように、透明な墓モニュとか、墓穴掘ってると思ったらその墓穴に自分が入っちゃうとか、砂が舞い上がって行って都市が現れるところとか、片方の眼では海があり人間が見えるのに、もう片方の眼で見ると砂漠でミイラが闊歩しているとか、ビジュアルイメージが良いなと思います。ただし、そのイマジネーションのつながりだけで、ところどころ話が推移している気はします。


さて、それこと完全報復装置の戦車の名前が、小狐丸はないわーと思ったら、ほんとにないわーだった件。そんで結局わからないままか。つかなぜ知ってるのか。
それにしても名前が自己を規定するという観点に立てば、この感想で宥現のことをゆうげん連呼しちゃいけないんだろうなと思ったりもします。
しかし戦車、外部メンテナンスなしでも稼働する高機能っぷりはともかく、砲弾等は消耗品だから、補給なしではやってけないような気がしないでもないんですが。
ロジはどうなっているのかとか、人間から感情を抜いたら「未来」側の兵器になるところになにか飛躍があるなあとか、まあ、そういう部分は「過去」と「未来」が戦っていて時間が狂っていて、死んだはずの人間が生き返ったりやっぱり死んだり、戦車は「過去」側の兵器で、というようなことを幻想小説的に受け入れられるなら、気にしてもしょうがないですね。
過去=海=胎児イメージで、未来=砂漠=ミイライメージ。
なぜか昔から、砂漠になってる風景と、水に浸食されている風景は、同じコインの裏表であるという気がしていて、それはやはり広く共有可能な原初的イメージなのかしらと思います。
さて、この時、塩辛い涙が海をあらわし、ならば「過去」側に振れるということで、感情を抜いたら「未来」側ということが、了解されんでもないです。→エピグラム


とまあ、そういうことはともかく、早川さんには、販売戦略であることはわかりますが、『完璧な涙』を初期傑作だの初期代表作だの言うのはやめて欲しいですね。コンセンサスが得られているようには思えませんので。

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