"石谷少尉と梶野少佐"カテゴリーの記事一覧
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去る6月19日のCOMIC CITY大阪85で、十枚ほど配ってきた(押し付けたとも言う)ペーパーに載っけた新作膚4コマ漫画です。再利用。
ネタ元シーンは、「膚の下」#48ですよ。こんなことを考えてしまった私を許してください。
アートルーパーのごとく純真な人は、純真なままでいてください。以上。ということはともかく、スペースに寄ってくださった方、ペーパーもらってくださった方、お買い上げくださった方、ありがとうございました。
今回、入場は無料のイベントだったから、いつになく年齢層が広かった感じですね。お年寄りから子供さんまで、別件のついでにちょっと覗いてますって風情で。まあうちには入場者数が多かろうが、関係なかったですが。
それでも初めて男の人が、うちのコピー本をお買い上げくださったので嬉しかったり。ペーパー足りて良かったー。最後の一枚になってたので、お渡しできなかったら残念なところでした。
ここの忍者もですけど、いくらでも無料でファンサイト作って絵とかテキストとか公開できますが、やっぱイベントで買ってもらえるとかすごく良いですね。求めてくれる人が目の前に見えるというのは。
ということで、次回は8月の大阪インテに行くですよ。PR -
さて、『膚の下』の梶野少佐を語るのに、間明少佐を等閑視して石谷少尉を持ち出すのには、一応ちゃんとした理由があります。
それは、
アートルーパーの慧慈を信じる間明少佐を信じるのが梶野少佐
であり、
アートルーパーの慧慈を信じる堂本少尉を信じるのが石谷少尉
だからです。
こう書くと、石谷少尉は梶野少佐と同じ位置取りなことがよくわかります。
また別の理由は、石谷少尉の下の名前が剛行(よしゆき)であることです。〈火星三部作〉では、「よし」音が名前に含まれることはある種特別な意味合いを持ちます。
私はこれまで、三部作のメインの父子に「よし」音(父)と「さと」音(子)のセットが見られると指摘してきました。『あな魂』の誠元(みつよし)と里司(さとし)、『帝王の殻』の恒巧(のぶよし)と真人(まさと)がそれに該当します。
しかし、『膚の下』の彊志(つよし)と慧慈(けいじ)の場合は、確かに「慧」の字が「さと」と読み得るものの、上記パターンから逸脱しています。また、わざわざ「さと」と読み替えるからには、同じ字を持つ慧琳(えりん)をどう考えるのかという問題も出てきます。
つまり、『膚の下』ではこれまでの父=「よし」音、子=「さと」音を踏襲しつつ、それを放棄しているのです。これは三部作の共通主題「父と子」が、『膚の下』においては後景に退いていることと符合します。
ですから、「父と子」とは関わりのない石谷少尉の名前が「よし」音を持つことは、『膚の下』にあっては決しておかしいことではないのですが、あえて剛行(よしゆき)と読ませるからには、また別の何かが求められることになるのです。そこで私としては、梶野少佐を真ん中におくと、対置される間明少佐と石谷少尉にはどちらも下の名前に「よし」があるんですよ、で話を終わらせたいのですが、さすがにそれは公平な態度ではないだろうと思います。
で、前出の相関関係です。一部を抜き出してさらに書き直すと、
間明彊志(つよし)を信じる梶野衛青(えいせい)
堂本聖司(せいじ)を信じる石谷剛行(よしゆき)
となります。
でまあ梶野少佐から見た場合、直接的な関係がある間明少佐と石谷少尉は、二人とも名前に「よし」がつきます。
そして石谷少尉から見た場合、直接的な関係がある堂本少尉と梶野少佐は、二人とも名前に「せい」がつくのがおわかりかと思います。
ようするに、間明少佐と梶野少佐、堂本少尉と石谷少尉、そしてまた石谷少尉と梶野少佐という風に、「よし」音と「せい」音のセットが反復されているのです。
なんかすごく不自然な感じです。
でもだからこそ、石谷少尉と梶野少佐とを取り上げて語ることに意義があるわけです。(強引にまとまったような気が!) -
せっかく「石谷少尉と梶野少佐」なんつうカテゴリーを作ってあるのに活用してないので、ちょっとそれに沿ったことをつらつらと考えてみました。そもそも、なんでそんなカテゴリー作ったかは不明。いや、ほら、石谷少尉って梶野少佐へ言葉責めするあたりが、不思議な人って言うか、オイシイよね?
さて、少し真面目に考えると、きっと石谷少尉は梶野少佐のことをD66前進基地で一番の出世頭だとかそういう噂で知ってて、中央士官学校の何年か先輩だしなんとなく自分のキャリアモデルに想定してたりしたんだけど、実際に会った時に「ERUってサンダーバードみたいだな。よっ、国際救助隊」とかなんとかすごい下らないことを言われて、ERUといったらUNAGでも超エリート部隊で、わけてもカロリン基地の416ERUは最強と呼ばれていて、自分はそこの隊長なのに、つまりひょっとしなくてもアンタより有能で将来有望な若手なんですけど、なんだよこのオッサンは腹立つなあとか思って、すごくトゲトゲとした態度で接してるのにそんなこと全然堪えてなくて、馴れ馴れしくひとのことあいつ呼ばわりしたり、鈍い人なんだ梶野少佐、ああもうなんか頭にくる。
と、こんな感じに石谷少尉は梶野少佐のことをものっそ意識してるけれど、きっと梶野少佐は間明少佐ばっかりで、石谷少尉なんかどうでも良くて、またそこが石谷少尉には悔しいんだろうな。わたしを認めろと、必要以上にきつい言葉と態度なんだけど、たぶん石谷少尉は梶野少佐のこと好きなんだ。そうじゃなかったら、最後の方で「あなたの手柄になるようにしてやるよ」(下巻p.596)とか言う意味がわかんナァイ。だって、石谷少尉は梶野少佐が416ERUとは関係ないところで野垂れ死ぬぶんには構わないとか言ってるのにさあ。(下巻p.90付近参照)
そうだ、ERUを回収する部隊の出勤要請コードは「『われ月下に影を見失う』」(下巻p.88)なんですよ。何度か言っているように月が梶野少佐の謂いである時、月下に見失われる影とはなんなのか、非常に示唆に富んでいます。
つまり、梶野少佐は〈火星三部作〉のレギュラーである以上、『膚の下』にしか出てこない石谷少尉がちょっとやそっとのことで敵うはずがないのです、始めから。ならば、石谷少尉は梶野少佐を常に脅かし揺り動かす(また時に手を差し伸べる)存在、間明少佐とは違った角度から梶野少佐を相対化するUNAG軍人として、出番を確保する必要に迫られるのです。
なんてことを書いてたら、自分でもなんだか良くわからなくなってきたので、次回に続く、かも。