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露草備忘録

〈火星三部作〉は『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』と『膚の下』(神林長平著、早川書房)で活動中。梶野少佐中心。

名前について 6

さて、『膚の下』の梶野少佐を語るのに、間明少佐を等閑視して石谷少尉を持ち出すのには、一応ちゃんとした理由があります。
それは、
アートルーパーの慧慈を信じる間明少佐を信じるのが梶野少佐
であり、
アートルーパーの慧慈を信じる堂本少尉を信じるのが石谷少尉
だからです。
こう書くと、石谷少尉は梶野少佐と同じ位置取りなことがよくわかります。
また別の理由は、石谷少尉の下の名前が剛行(よしゆき)であることです。


〈火星三部作〉では、「よし」音が名前に含まれることはある種特別な意味合いを持ちます。
私はこれまで、三部作のメインの父子に「よし」音(父)と「さと」音(子)のセットが見られると指摘してきました。『あな魂』の誠元(みつよし)と里司(さとし)、『帝王の殻』の恒巧(のぶよし)と真人(まさと)がそれに該当します。
しかし、『膚の下』の彊志(つよし)と慧慈(けいじ)の場合は、確かに「慧」の字が「さと」と読み得るものの、上記パターンから逸脱しています。また、わざわざ「さと」と読み替えるからには、同じ字を持つ慧琳(えりん)をどう考えるのかという問題も出てきます。
つまり、『膚の下』ではこれまでの父=「よし」音、子=「さと」音を踏襲しつつ、それを放棄しているのです。これは三部作の共通主題「父と子」が、『膚の下』においては後景に退いていることと符合します。
ですから、「父と子」とは関わりのない石谷少尉の名前が「よし」音を持つことは、『膚の下』にあっては決しておかしいことではないのですが、あえて剛行(よしゆき)と読ませるからには、また別の何かが求められることになるのです。


そこで私としては、梶野少佐を真ん中におくと、対置される間明少佐と石谷少尉にはどちらも下の名前に「よし」があるんですよ、で話を終わらせたいのですが、さすがにそれは公平な態度ではないだろうと思います。
で、前出の相関関係です。一部を抜き出してさらに書き直すと、
間明彊志(つよし)を信じる梶野衛青(えいせい)
堂本聖司(せいじ)を信じる石谷剛行(よしゆき)
となります。
でまあ梶野少佐から見た場合、直接的な関係がある間明少佐と石谷少尉は、二人とも名前に「よし」がつきます。
そして石谷少尉から見た場合、直接的な関係がある堂本少尉と梶野少佐は、二人とも名前に「せい」がつくのがおわかりかと思います。
ようするに、間明少佐と梶野少佐、堂本少尉と石谷少尉、そしてまた石谷少尉と梶野少佐という風に、「よし」音と「せい」音のセットが反復されているのです。
なんかすごく不自然な感じです。
でもだからこそ、石谷少尉と梶野少佐とを取り上げて語ることに意義があるわけです。(強引にまとまったような気が!)

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