えー、毎度変り映えのしないバストアップ絵ですが、顔は毎回変わります。しかし、そこは強引にねじ伏せて、梶野少佐と言い張ります。
てんで細かいところがいい加減なのもいつも通りです。ああ、もっと緻密で格好良い絵が描きたい…。でまあ、何枚も描いて分ってきましたが、私はこの絵ぐらいの薄塗りが一番性に合うみたいですよ。最近はPC以外でカラー絵なんて描いてないから、ペイントソフトさまさまです。
ときに私の中で梶野少佐は、けっこうナチュラルに酷いことを言う人です。必ずしも悪意があるわけじゃなくて、ちょっと他人の気持ちに鈍感で無神経なんだ。と云うのも、あれですよ、梶野少佐はきっとたっぷり愛されて育ってきて、甘やかされてたもんで、他人がわざわざ自分を傷つけるなんてことがあるとは実は信じてなくて、だから自分の言葉で他人が傷つくかもしれない、てなことに思いが至らないの。月戦争後なのにそれなりに裕福な家庭でおそらく何不自由なく育ち、国連中央士官学校を出てエリート街道と出世街道を邁進する、『膚の下』時点までのその経歴に一つの傷もなさそうな梶野少佐は、ために誰もが自分と同じように生を謳歌しうるものと考えているんですよ。言わば梶野少佐は、世界を信じ世界から愛されている人です。なるほど、神林作品の主人公にはなれないタイプだわ、どおりで。
ただ、「梶野少佐はこれまで挫折したことが、たぶんない。」(『膚の下』上巻p.549)という慧慈の発言は、ちょっとどうかと思います。35歳くらいのオッサンつかまえて、挫折したことがないだなんて、人をなんだと思ってるのかこのアートルーパーの子は。挫折を知らなくて許されるのは、せいぜい20代までの話だっつーの。
傍目にはプライドが高く自信にあふれたデキる男性が、現在にも過去にも水面下ではそりゃもう色々あって挫折感や屈辱に悶える/ていた姿を妄想するのがイイんじゃないですか。(待てや)
それにしても、「こちらを思いやることは決してしない」(同上巻p.76)だとか、「他人のこうした痛みはわからない」(同上巻p.77)だとか間明少佐に評されていたこの『膚の下』の梶野少佐が、新旧版『帝王の殻』(&『あな魂』)の梶野少佐になるまでには、もっと様々な道程があっただろうことは想像に難くありません。
はたして間明少佐(ついでに石谷少尉)は、望み通り、梶野少佐に思いやってもらえるようにならはったんやろか。いや、『帝王の殻』はお仕事やもんなぁ。結局、梶野少佐は最後まで酷い人に30ピー。
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