"覚え書きとアニメ化妄想"カテゴリーの記事一覧
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前回、梶野少佐の女性キャラ化の利点を2つあげました。以下、書き改めて再掲。
(1) 梶野少佐には序盤と中盤に見せ場がある。
(2) 他の登場人物(間明少佐など)との関係を練り直さなくてもよい。
そこで、今回はこの2点について述べていきます。まず(1)ですが、序盤の梶野少佐(女性)と間明少佐の食事&会話
デートシーンは、かなり有効です。世界設定の説明をする上でも大事なところですから、ここで上手く視聴者の興味を設定的な面や軍服美女(梶野少佐)に向けられれば、次回も観てみようかなと思う、かもしれない。
また、梶野少佐は主人公・慧慈と直接からむこともまあまあ多く、特にアートルーパー小隊独立宣言のシーンは劇的ですね。しかもそれは、梶野少佐が引き金と言えるわけです。さて次に(2)ですが、キャラクターの相関図における、梶野少佐の女性化の影響はとても小さいように思われます。
間明少佐に対しては少し年上の同僚を慕う切れ者の女性将校、石谷少尉に対しては有能なのはいいがどうにも甘いところのある女性士官、という風に梶野少佐を読み替えることが可能だからです。
対久良知大佐も対沖本大佐&鳩尻大尉も対大崎大尉も対慧慈も対慧琳も対JKLMも対晋彗も、その他、特に梶野少佐を女性化して齟齬をきたすことはなさそうです。
これは逆に言えば、梶野少佐が男性であってこそ成立するというような場面も『膚の下』には存在していない(慧慈視点故に)、ということなのですが。もちろん、間明少佐が抱く梶野少佐への屈託は本来、梶野少佐が自分と同じ男性の、年下でありながら自分を追い抜いてさっさと昇進してもおかしくない優秀な人物であり、なおかつ、そのような人物がよりによって自分を慕ってくる(なぜ?)というところから発しています。石谷少尉にとっても、梶野少佐は自分の出世の妨げになりそうな男性将校(ライバル)であるから、水面下で対立するのです。
しかしまあ石谷少尉は、梶野少佐が実際に女性であってもやはり対立してそうですし、主人公ではない間明少佐の屈託は、アニメではどうせ尺が足らずに省略されてしまう部分ですからね。問題ありません。(ホントかよ)
「冷汗と饒舌のあいだ その4」へ続く。PR -
さて、アニメ「膚の下」視聴者層拡大に向けて、梶野少佐を女性キャラに変更(女性化/女性キャラ化)の利点は、2つあります。
1つは、序盤と中盤に登場シーンが割合あること。2つには、間明少佐や石谷少尉や慧慈たちとの関係が、梶野少佐が女性となってもあまりムリがないことです。
しかし、それについて詳しく述べる前に、さしあたって他の登場人物についても検討しておきます。始めに、アートルーパー(一部or全員)を女子にすることは、いくらなんでも(いわゆる萌えオタが釣れるとしても)認められないでしょう。方策としてかなり安直です。そりゃもちろん作者が認可するのであれば、私は反対しませんけど。
まあここでは、F型アートルーパーの意義とはという、デリケートかつ難しい女性問題の領域に踏み込むことはやめて、結論を記すにとどめましょう。アートルーパーは男子のまま。
ただ公式では問題になっても、同人ではたぶん大丈夫(ヲイ)なので、やりたかったら二次創作しましょうネ、待ってます☆そして次に「父と子」の立場からすると、間明少佐の女性化はダメです。序盤以降はほとんど出てこなくなることもあり、間明少佐は一番女性化することに意味のない人です。
中盤以降が出番の、より若くアートルーパーと外見年齢が近い(と推測される)石谷少尉や堂本少尉等の場合は、不要な恋愛要素への期待が視聴者に生まれかねません。まあ、別に男同士でも…(黙れっ!)
ええと、正井刑事はやっぱし男性でいて欲しい。名物刑事だぜおやっさん、というのが好きです。
木上医師あたりは女医化もありそうですし、実際梶野少佐に次ぐ有力候補であると個人的には思います。しかし、言動に派手さがあまりなく、周りに女性看護師を多く出せば画面上の華やかさは確保できるので、無理にせんでも良い。
敵陣営キャラの女性化は、マ・シャンエと競合するので避けたい事態です。以上、検討の結果、立ち位置的に、押し出しの良い健康美女キャラに変更しても遜色ない(誤用)のは梶野少佐ぐらいなものと、おわかりいただけましたでしょうか?
「冷汗と饒舌のあいだ その3」へ続く。 -
この景気の冷え込みの厳しい昨今、アニメ「膚の下」プロジェクト(いつの間に…?)への資金をもぎ取るためには、企画の出し方を考える必要があります。
まず肯定的な要素としては、犬SF・ミリタリー・原作ファンの存在です。
小説作品のSFが近頃世間的にどうなのか知りませんが、少なくともアニメ作品とSFは昔から相性が良い。おまけに犬、動物好きの心を鷲づかみです。
ミリタリー要素も、アクションもの好きな層を取り込める(ような気がする)。
原作ファンの存在は、まあ諸刃の剣なのですが、少なくとも支持基盤が最初からある程度形成されていることは原作ものの強みであって、その意味でのバクチ感が薄い。しかし否定的な要素も、もちろんあります。内容が哲学的すぎることと、女性キャラが少なすぎることです。
まあ、内容に関しては小説作品をアニメに移し替えること自体が初めから色々と問題をはらんでいるのですから、ベテランの構成作家さんや脚本家さんの腕に期待しましょう。(他力本願)あと、テーマとかメッセージ性を強調して、社会的な側面を打ち出しておくのも手でしょうか。
主要キャラに女性が少ないというのは、物語さえ良ければキズでもなんでもないのですけれど、そこはお金を出すのはエライさんなわけで。後々のDVDや関連商品の売り上げを考えると、(男性)視聴者ウケが悪いのは困ると思うに決まっています。
しかし、はっきりと主人公側に敵対するきゃしゃで少し病的な感じのマ・シャンエと、素朴・原石と言えば聞こえは良いが貧相でささくれた実加では、ま、それはそれで一部の人にはウケるかもですが、やや弱いのもいなめない事実です。第一、どちらとも全然出てこない場面が長くなりかねません。
ここは、キャッチーにも絵的にも、押し出しの良い健康美女が欲しいところです。つまり何が言いたいかというと、アニメ版『膚の下』では、梶野少佐を女性キャラにしちゃってもイイんではなかろうか!?
「冷汗と饒舌のあいだ その2」へ続く。 -
最近、懸案だったアニメ「ラーゼフォン」のTVシリーズと劇場版をようやく全て観終えたので、『ラーゼフォン 時間調律師』(徳間デュアル文庫)を本棚から引っ張り出してきて、ぱらぱらっと再読しています。
「ラーゼフォン」は本放送時に録画し損ねたりで、結局視聴を中断してしまいました。その後レンタルで視聴コンプリートするより前に、ノベライズ版(と言うか)を読んでしまったのは、良かったのか悪かったのか判然としませんが、結構そのまんまだったんだなぁと感じる(いやいやいやいや…)のは、単に読んだのがかなり昔のことだからのような気もします。
そんなことはともかく、ぺらっと頁をめくっていたら主人公の明という名前が、「日と月の両方を司る」(『ラーゼフォン 時間調律師』p.96 l.7)意であるというところを見て、先だって間明少佐には日と月があるのだなあと思ったのはこれが原因かと、得心がいきました。
そこで今回は、その説を応用して、間明少佐の名前を考えてみることにしました。さて、「あなたの宿命なのよ」(同p.148 l.1)の明と違って、間明少佐に特殊な運命がないことは分りきっている(笑)のですから、間明とは、そのまま日と月の間を意味することになります。つまり、日でも月でもない、地球のただ人ということです。
しかしながら、『膚の下』の世界では月は失われています。とすると、この日と月は、もう一段階象徴化された何ものかであると、とらえることができます。できなくてもそうします。これをテキストの深読み、こじつけ、拡大解釈と人は呼びます。
ところで『膚の下』作中、間明少佐の一番大事な関わりは、十数年来の友人の梶野少佐とのものと、教育教官担当であった慧慈軍曹とのものです。
すなわち、短絡的に考えれば、日と月が表しているものは、この二人(一人と一アートルーパー)ということになります。どちらがどっちかというのは、梶野少佐の名前が衛青であることから、たぶん梶野少佐が月で、日が慧慈となります。と、云うようなことを以下えんえん文章に起こしていて、さすがに我ながらかなり妄想ばりばりで呆れたので省略。
しかし、間明少佐を真ん中に置いた場合、梶野少佐と慧慈が対置されるのは疑いのないところです。
なにせ、間明少佐のこの苗字は、『帝王の殻』に出てくる間宮大尉との類似を見せている(MAGIRA/MAMIYA)わけですから、梶野少佐との関係性から導かれたものと思われます。
そしてまた、間明少佐の下の名前の彊志も、三部作の共通主題「父と子」の主たる父としての役割から導かれています。子の役割を担うのは、当然ながら慧慈です。
という風に、間明彊志という名前からして、梶野少佐と慧慈との関係に強く招聘されていることがその証です。
まあ間明少佐は、きっと嫌がるでしょうけどね。 -
やはり『膚の下』を、リアルタイムで「SFマガジン」の連載でも読んでみたかったような気がします。そんで「今月の梶野少佐」ってことで、毎回感想を書くの。梶野少佐が全然出てこないと、書くのが「梶野少佐、出番なし」だけになって、それがずっと続いたりして。(なんでそんな後ろ向きな企画を…?)
でもまあ、それは今更ムリなのであれですが、「今週の梶野少佐」なら『膚の下』がアニメ化されて毎週放映されたら、できないこともないっすネ。ああ、どこか本当にやってくださったら、私が梶野少佐に偏った感想を毎回書くのに。もちろん、梶野少佐が出てこない回は「梶野少佐、出番なし」だけな。(だから、なんで)
それはともかく、この前はナレーションか次回予告に実加をと言っていましたが、実加は次回予告だけでイイや。もし付けるなら、ナレーションは梶野少佐(の中の人)に、やっぱりやってもらいましょう。うん、その方が、私は楽しいし。
と言うかね、地の文以外で設定を語るためにいる人のようなもンですから、梶野少佐って。そういうところ、実はすごく正統派なんですよ(と言ってみただけ)。