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お久しぶりです。ハロウィーン絵でもなんとかしようと思いつつ、結局使いまわしです。
ここのところ意欲の減退著しく、なんかもう疲れたんだ。とか言ってますが、どう考えても原因は映画を観に行ってばかりなせいだと思うので、もうちょっとスケジュール管理をしっかりした方がええですね。映画観るの楽しいですけど、映画ばっかり観ていると、他のことがあんまりできないですから。
去る10月のインテも、なんかこうアリバイ作りみたいになってしまって、ペーパーだけ配って、何のために行ったのか。ペーパーをもらってくれた人は、ありがとうございました。実は来たる2017年1月の文学フリマ京都に、シリーズ折句アミシャダイをまとめた小冊子で出ることにしました。ので、そちらのほうにがんばっていきたいです。百首くらいまとめて、質より量で押し切れば、箸か棒には引っかかるような気がします。錯覚です。
ともかく、アミシャダイで折句詠むため、全く火星三部作と関係ないということはないですし、半分くらいは神林作品を詠んだり、私の好きないろいろな作品をアミシャダイという五文字で詠んだりしてますので、面白いと思ってくれる人には届いたらいいなと思います。まあ今後はもうちょっとひんぱんに絵を描いたり、ブログ書いたりしたいです。
それでは。PR -
こんばんは。またしても一月以上あいてしまいましたが、ちょっと七月にすべりこんでみました。
先月23日開催の梶野衛青生誕祭は、主催の私が映画鑑賞のほうに熱意を傾けていたため、なにも格別な物を用意できずじまいで、のんびりまったりとしていましたが、参加してくださった方はありがとうございました。
お誕生日イラストくらいなんとかしようと、上の絵を描いていました。
その元をさらに加工して、ペーパーに載っけたのが下になります。6月26日にもインテのシティにサークル参加していたのですが、宣伝はしないわ新刊はないわで求められるとかあるわけもなく、もう疲れたので8月はお休みです。早起きして大阪まで出かけるのヤダ。それに、ちょっとお買い物にまわりとうございます。
サークル参加していると、睡眠不足や荷物が気になって、心おきなくお買い物に行けないのですよ。一般参加でも早起きしなきゃ早い時間に会場入りできんでしょうが、少なくとも行きに重い荷物はないわけで。そんなことはともかく、今年も半分以上過ぎましたが、まだまだいろいろやっていきたいです。
それでは。 -
いつもお久しぶりと言っているような気がしますが、ツイッターのほうでは毎日のようになんじゃかんじゃ流し中です。
最近は「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」にだだハマりしたので、だいたいそれについてが半分です。
そんなわけで、去る5月29日のインテに出てたんですが、徹夜してペーパー(上写真)作っていたためにスペースでひたすらペーパーをまく以外はゾンビのようになっていて、特筆することがありません。ペーパーを受け取ってくださった方はありがとうございました。
ちなみに、来る6月26日のインテにも出るのですが、またもペーパー作るくらいで新刊はなしなので「梶野ロワイヤル4」が引き続き新刊ということになります。そんで、その前の6月23日は梶野少佐のお誕生日として、ツイッター上でここ数年恒例の梶野衛青生誕祭を行います。
が、前述したように「シビル・ウォー」のことばかり考えていて、ろくな準備もできていませんので(熱い責任転嫁)、特に梶野少佐についてに限定することなく、広く火星三部作についてなんやかんや語るというまったり開催です。なにかしら語っていただけますと、私が嬉しい、というだけの企画でございます。なお、サムシングスペシャルをお届けくださるというなら、欣喜雀躍してお受け取りいたしたく存じます。 -
一般に梶野少佐として知られる人物には、非常に重要な転換が二度存在することがわかっている。『あなたの魂に安らぎあれ』のあとに『帝王の殻』に出たときと、さらにその後『膚の下』に出たときである。厳密に言えば、『膚の下』もSFマガジン連載版と単行本の間に異同があるのだが、ひとまず置く。
梶野少佐は、梶野衛青が彼のフルネームだが、圧倒的に彼は梶野少佐として有名である。彼の長い人生を考えると彼が少佐であった時期はそう長くはないのであるが、それは火星三部作が彼の少佐時代に集中しているからである。
そのため、彼の終生については、実はよくわからない空白期が多数存在している。UNAGの記録すら完璧ではない。梶野少佐は月戦争後の生まれであるが、明らかに月戦争以前の出生でなければつじつまの合わない書類上の記載が、梶野少佐のものとして混入している。
一説によれば、そのおかしな記録は、梶野少佐の父親のものである。
ともあれ、梶野少佐は月戦争後の混乱した時期の地球に生まれ、しかしある程度裕福な家庭に育ったことが、彼の年上の友人・間明彊志の証言から判明している。
間明彊志――彼のUNAGの最終階級は少佐であるため、彼もまた間明少佐という呼び方が定着している――は、梶野少佐の親愛の対象であり、良き同僚であり、そしてある意味ではライバルであった。
晩年の梶野少佐にインタビューを行ったジャーナリストの実加は、短いながらもそのような間明少佐への気持ちを聞き出している。
間明少佐のほうは、もう少し複雑な心境であったらしい。間明少佐の証言のはしばしには、梶野少佐へ抱く屈託がときに遠回しに、ときに率直ににじんでいる。
