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露草備忘録

〈火星三部作〉は『あなたの魂に安らぎあれ』と『帝王の殻』と『膚の下』(神林長平著、早川書房)で活動中。梶野少佐中心。

悩ましいやつだよと

『膚の下』の後日談で梶野少佐(元)は、帰還後の間明少佐(元)の消息を知らないと実加に言ったそうですが、本当に知らんのやろうかと思ったりします。(面倒なので元は以降省略)
梶野少佐にはいくらでも、間明少佐の帰還時期やその後の身の振りをさぐれるだけの権力があって、方法だって知っているはずだからです。
でもそれは、実加と違ってわざわざ捜そうとしなかったという、どこかで元気にしていると思えればそれで良いかという、男の人にありがちな態度でしょうか。


しかしやっぱり、ある日街角でばったり再会というのはなくもないんじゃないかと、そう思います。ユーミンの「あの頃のまま」をきいていたら、いや絶対そういうことがあったよ、と思います。(ちなみに歌詞はこちらを参照)
梶野少佐にとっては過去がそのままの姿で現れたようで、間明少佐にとっては自分を追い抜いて積み重ねられた年月を見せつけられるようで。
瞳をそらしあうんだ、うん。
そんで、"SIMON&GARFUNKEL"て言ったら、久しぶりにきくのはアルバムの"BOOKENDS"だよね、異論は認めない、こともない。って、どっちやねん。
まあ、サイモンとガーファンクルはどれも良いっちゃ良いんで。そんな未来に伝わってるのかなんて、野暮なことは抜きですよ。


と、いうようなことを考えましたが、実は私は間明少佐にばったり再会するならむしろ石谷少尉(元)の方だとずっと前から思っています。
この場合はもちろん「あの頃のまま」は関係なく、梶野少佐への複雑な想い(てなんだよ?)が共通する二人を、帰還後に会話させてみたいなと。ただ、それをやると、あまりにも妄想・捏造がはなはだしくなって、問題なのでやれません。まあいつものことなんですけど。
そして、これは余談ですが、私の『膚の下』というか〈火星三部作〉の終幕のイメージは、光と緑にあふれた公園で爺ちゃんになった梶野少佐が、孫を「剛志(つよし)」と呼ぶ風景だったりします。
でもなあ、しかしなあ、それはなあ、いくらなんでもなあ。
孫にどんな名前をつけさせてるんだか。自分がキモイわ。

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