昨日は長歌&反歌を載せていましたが、おかげで少し休めましたので、気を取り直して『あな魂』新旧比較行きます。
「きみたち、アンチを殺すのか。そうじゃないことはわかっているんだが」
「火星中央機構は十二年ほど早くわれわれを追い出しにかかりました。困ったことです。この街にトラプシン・キーを持っているアンドロイドが生まれているかどうか。それが見つからないとなると、殺さなくてはならない」
「聖なる御子のことだな。それなら破沙にいるよ。人間に紛れ込んでいるアンドロイドの子供だ。識別は簡単にできるのか」
「ええ。そうですか、それはありがたいです。アンドロイドを無駄にしなくてすむ。よかった、いや、本当に。感謝します。さっそく本部に連絡します。でも……あなたはどうしてここに。あのドンパチグループとは別なんですか。すごい銃を持ってますね。九一式熱線銃、旧地球時代の名銃のコピーだ。あんなものがあるとは思いませんでした」
「旧地球時代か。きみたちは地球を脱出したあと、火星でどう生きていたんだ」
(『あな魂』五刷 #23 pp.318-319)
「きみたちは、アンチを殺すのか。門倉のアンドロイドを皆殺しにするのか?」
「トラプシン・キーを持っているアンドロイドが生まれているかどうかにかかっています。火星の中央政府は、契約より十二年ほど早くわれわれを追い出しにかかりました。困ったことです。帰ってきたここ、地球でトラプシン・キーが見つからないとなると、アンドロイドを殺さなくてはならない。キーは、特定のアンドロイドの体内で生合成されることになっているのです」
「聖なる御子のことだな。それなら破沙にいるよ。人間に紛れ込んで生活しているアンドロイドの子供だ。識別は簡単にできるのか」
「できます。そうですか、それは助かる。無益な殺傷をしなくてすむ。さっそく本部に連絡します。しかし、あなたはどうしてここに? 司祭だそうですが、アンドロイドを教育されていたのですか?」
「いいや、わたしは人間相手の司祭だったが、アンドロイドの神、エンズビルが降臨するのを予知して、その正体を見るために、地上に、ここに、来たんだ。エンズビルというのは、あなたがたのことだったんだな。あなたがたは地球を脱出したあと、火星でどう生きてきたんだ」
(『あな魂』六刷 #23 pp.375-376)
ちょっと長いのですが、うまく切れるところがないので、ここで切ります。この辺りのサイ・玄鬼と梶野少佐の会話には、『膚の下』に合わせた追加と書きかえが多いですね。
五刷では「そうじゃないことはわかっているんだが」だったサイ・玄鬼は、六刷で「門倉のアンドロイドを皆殺しにするのか?」と梶野少佐へ問うことになり、わかってない人になってしまいました。そこで梶野少佐は六刷では「トラプシン・キーを持っているアンドロイドが生まれているかどうか(にかかっています)」を先に言って、「帰ってきたここ、地球でトラプシン・キーが見つからないとなると、アンドロイドを殺さなくてはならない。キーは、特定のアンドロイドの体内で生合成されることになっているのです」と、五刷よりも懇切丁寧にサイ・玄鬼に説明しています。
サイ・玄鬼の「識別は簡単にできるのか」に対して、梶野少佐は五刷では「ええ」、六刷では「できます」と、よりわかりやすく答えています。そして五刷の「そうですか、それはありがたいです。アンドロイドを無駄にしなくてすむ。よかった、いや、本当に。感謝します」が、六刷では「それは助かる。無益な殺傷をしなくてすむ」に短縮されています。たしかに五刷の「よかった、いや、本当に」あたりはなくてもよいところです。しかし、それでは六刷の梶野少佐が、比較的感謝していない人みたいですよ。なんかこう、ちょっと改訂以後の梶野少佐は事務的ではないですか? 別にいいんですけどね、別に。
それはともかく、五刷の「あのドンパチグループとは別なんですか。すごい銃を持ってますね。九一式熱線銃、旧地球時代の名銃のコピーだ。あんなものがあるとは思いませんでした」この梶野少佐のセリフが、まるっと削られています。ここもいらないと言えばいらないですね。「旧地球時代」を導き出すための序詞みたいなものです。が、「九一式熱線銃」の説明が消えてしまったのは、少し残念な気もします。
そのかわり、六刷では「司祭だそうですが、アンドロイドを教育されていたのですか?」という『膚の下』に合わせたセリフに変更され、それを受けてのサイ・玄鬼の「いいや、わたしは人間相手の司祭だったが、アンドロイドの神、エンズビルが降臨するのを予知して、その正体を見るために、地上に、ここに、来たんだ。エンズビルというのは、あなたがたのことだったんだな」が追加挿入されています。
そしてこの、サイ・玄鬼の呼びかけが、六刷では途中で「きみたち」から「あなたがた」になっているのは、「よかった、いや、本当に」等の梶野少佐のセリフが削られたために、五刷以前の親しみやすい梶野少佐に対してなら「きみたち」でもよかったのですが、六刷以降のやや事務的な口調の梶野少佐には、「きみたち」と呼びかけるのが、サイ・玄鬼にはためらわれるということなのです。
ホンマかいなと思いながら、9に続く。
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