"間明少佐と梶野少佐"カテゴリーの記事一覧
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『膚の下』の後日談で、実加によると帰還後、梶野少佐(元)(以降元は省略)は八十ちょっとまでは生きていたことわかります。人間、そうそう長生きできるものじゃありませんし、八十も過ぎたらさっさと【不適切な発言により削除されました】。
そんでまあ、この後日談は実加が梶野少佐に会ったころよりさらにあとなので、もう梶野少佐は死んじゃってるのかなあと思います。なんせ、実加の語りが全部過去形なので。
となると、元UNAGの重鎮としてはお葬式をやったに違いなく、そのお葬式に間明少佐(元)がこっそり弔問しに行ったかもしれないと考えても、別におかしくはない。
というわけで、一度はやりたい葬式ネタです。何がというわけなのかわからんけど。さて、後日談の記述に従うならば、三十余年に及んだ火星からの帰還計画のうち、実加は最終段階の集団の一員であり、実加が目覚めた時、梶野少佐は七十歳近くでした。わかりやすいように実加の帰還時期を三十年目として、後日談は実加帰還時より二十年後としておきます。
そこで、七十歳近く=七十歳前であるとするなら、避難民の地球への帰還のころ、つまり『あな魂』時点で梶野少佐はおそらく四十歳は越えてないでしょう。私の四コマのネタ的には三十八歳以上がベストですが、そこはそこ。
実加が梶野少佐に「会ったときは八十を越えていた」のであるから、それは実加帰還時より十数年くらい後ということになります。そして、間明少佐の帰還時期が「遅い部類」として、その範囲をどう取るのかが問題なのですが、わかりやすく仮に二十年目くらいにしてみます。とすると後日談時点で帰還後三十年になって、生きてるとしたら七十歳過ぎです。仮に梶野少佐が八十幾つで亡くなったとすると、そのころ間明少佐は六十代になります。
九十以上、八十以上がよくある社会なら、六十越えはそう老けこんだ感じでもありませんね。また、私は歳の差がありすぎるのはちょっと…ですが、歳を取ってからの二十違いというのはそれほどでもないので、大丈夫全然いけます。(あに言ってんだ?)
で、そんな間明少佐はある日、新聞の死亡欄に載った梶野少佐の訃報と葬儀の案内に気づき、どうしようかと迷いつつ出かけて行くわけですよ。密葬だとお話にならないので、そこは適当に仏式のような無宗派のような通常のお葬式でお願いします。絵的に鯨幕は必須です。香典辞退をこれ幸いに、記帳のみで葬式会場にもぐりこんだ間明少佐は、白い花で飾られた式壇の遺影を眺め、彼我に流れた時間の差を思いつつ、自分も歳を取ったものだとしみじみしたりします。
喪主はありきたりに長男で、でも母親似なのか、あまり衛青には似てないなと思ったり。
しかし、間明少佐が適当に焼香を済ませお悔やみの言葉を述べて立ち去ろうとした時、ちょうど長男が隣に立っていた高校生くらいの息子に話しかけます、「つよし」と。
記憶の中の梶野少佐を彷彿とさせる、その声色と響きにはっとして振り返った間明少佐は、さっきはあまりじろじろと見ることもなかった孫息子の方が、祖父の若いころの面影をうつしているのに気づきます。孫にはもっといい名前を付けさせろよ、と思いながら、梶野衛青と間明彊志の二人ともが若かった日の記憶が、わぁっと頭の中にあふれるんですよ。これ以上の細かい設定は、たとえば梶野少佐と長男の【自主規制】、梶野少佐が孫息子と【自主規制】、実加にあったときには【自主規制】、梶野少佐と石谷少尉は【自主規制】。さすがに妄想が過ぎるので。
そうでなくとも、まあ仮定の多い話だこと。PR -
その昔、間明少佐(41)は日本軍の主計中尉で、後に日本軍が解体されUNAGに吸収された時、少尉からやりなおすハメになりました。間明少佐のUNAGの中尉時代に、梶野少佐(35)は国連軍中央士官学校を出たばかりの少尉でした。
つまり、
間明少佐:旧日本軍士官学校→主計少尉→主計中尉→→UNAG少尉→UNAG中尉
梶野少佐:~~~~~小中学高校?~~~~~国連軍中央士官学校→UNAG少尉
図にするとこんな感じ。間明少佐が士官学校に入った(入れられた)のは18歳以降であることがわかってるから、単純に考えて22,3歳ころに陸軍主計少尉になったとして、仮に十数年前のUNAG中尉の時に梶野少尉が22歳くらいとすると、間明中尉はその時28歳くらい。
さて、28歳くらいで中尉というのが遅いのか早いのかわからないけど、エリートであるところの石谷少尉と堂本少尉がいまだ中尉でないことを考えると、二人の年齢はやはり25~28歳くらいが妥当な範囲でしょうか。あいだを取って27歳くらい? もう少し下か、でもあんまり年齢差(誰と)があり過ぎると萌えないし(何が)。そんでまあ、こうして考えると、梶野少佐が間明少佐を慕うのもよくわかるような気がします。キーワードは「波瀾万丈」「紆余曲折」「泰然自若」って感じですか。少なくとも新版の梶野少佐には過酷な過去もなければ、挫折もない(そんな訳はない)けれど、出世のために汲汲としているので、間明少佐がストイックに仕事に打ち込む姿に憧れるなあとか、間明少佐の気も知らないで思っているに違いないです。間明少佐は人間関係って煩わしい、面倒くさいと思ってるだけなのにね。
うーん、私も人間関係が煩わしいタイプだから、間明少佐は自分みたいで嫌で、梶野少佐が良いと思うのか、納得。 -
梶野少佐はアミシャダイをにらむ。そして口を開きかけたとき背後から誰かが近づいて、その肩を掴んだ。
「もうよせ、母さん」
間明彊志だった。
「あなた」と梶野衛青。「あなたは、こんな息子の勝手を見逃せ、慧慈を見捨てろと言うの」
「見捨てるもなにも、もう手をかけて世話を焼いたり、教育する必要はない。息子は、勝手に生き始めたんだ。われわれ親が、こういう子に育てたんだ。慧慈は、両親のためじゃなく、自分が満足できる道を見つけた。われわれは、息子の自立するさまを目にできる。喜ぶべきことだ。あとはまかせておけばいい」あー、もうダメ、耐えられん…! 元の文は『膚の下』下巻p.600 l.15~p.601 l.6からですよ。
この一月ばかり、ここの場面がまるで、親の敷いたレールを歩んでいた孝行息子が、大学をこっそり中退してとある職人の住み込みの弟子かなんかになってて、それを知った母親が騒いで連れ戻しに行くんだけど、あんまし進路に口出ししたことがなかった父親は、意外に息子のことを認めて許してやるような、よくあるホームドラマの1シーンのようだと思ったということを、どうやったらスマートかつ説得的かつ実証的に説明できるだろうかと悩んでいました。
しかし、それは悩むだけムダという結論に達したので、ネタとして処理することにしました。ああもう、どうしようもない。
つまり、梶野少佐、あなたはどこのオカンですかと言いたかっただけです。なんでそんなに間明少佐とメオトっぽいんですか。本当はここから、梶野少佐の『膚の下』における母親的役割であるとか、不在の月の代補的ありかたなんかに進むつもりだったんですが、この最初の部分がアカデミックにクリアできなかった(できる気でおったんかい)ので、何書いてもあとはこじつけ臭いのがなあ。
ま、私のここ(露草備忘録)での記述は、たいがい牽強付会ですけどね。
でも、梶野少佐は『膚の下』の月の不在と母の不在を同時に解消する存在である(これホント)ということは、また次回やります。手を変え品を変え。
まだだ、まだ終われんな。
ではでは。 -
『膚の下』の後日談で梶野少佐(元)は、帰還後の間明少佐(元)の消息を知らないと実加に言ったそうですが、本当に知らんのやろうかと思ったりします。(面倒なので元は以降省略)
梶野少佐にはいくらでも、間明少佐の帰還時期やその後の身の振りをさぐれるだけの権力があって、方法だって知っているはずだからです。
でもそれは、実加と違ってわざわざ捜そうとしなかったという、どこかで元気にしていると思えればそれで良いかという、男の人にありがちな態度でしょうか。しかしやっぱり、ある日街角でばったり再会というのはなくもないんじゃないかと、そう思います。ユーミンの「あの頃のまま」をきいていたら、いや絶対そういうことがあったよ、と思います。(ちなみに歌詞はこちらを参照)
梶野少佐にとっては過去がそのままの姿で現れたようで、間明少佐にとっては自分を追い抜いて積み重ねられた年月を見せつけられるようで。
瞳をそらしあうんだ、うん。
そんで、"SIMON&GARFUNKEL"て言ったら、久しぶりにきくのはアルバムの"BOOKENDS"だよね、異論は認めない、こともない。って、どっちやねん。
まあ、サイモンとガーファンクルはどれも良いっちゃ良いんで。そんな未来に伝わってるのかなんて、野暮なことは抜きですよ。と、いうようなことを考えましたが、実は私は間明少佐にばったり再会するならむしろ石谷少尉(元)の方だとずっと前から思っています。
この場合はもちろん「あの頃のまま」は関係なく、梶野少佐への複雑な想い(てなんだよ?)が共通する二人を、帰還後に会話させてみたいなと。ただ、それをやると、あまりにも妄想・捏造がはなはだしくなって、問題なのでやれません。まあいつものことなんですけど。
そして、これは余談ですが、私の『膚の下』というか〈火星三部作〉の終幕のイメージは、光と緑にあふれた公園で爺ちゃんになった梶野少佐が、孫を「剛志(つよし)」と呼ぶ風景だったりします。
でもなあ、しかしなあ、それはなあ、いくらなんでもなあ。
孫にどんな名前をつけさせてるんだか。自分がキモイわ。 -
前回の記事が記念すべき100個目だったことに、あとで気づきました。しまった、あんなアホ書いてないで、最初から間明少佐と梶野少佐の出会い編をやってれば良かった…。3ケタ突入はやっぱ特別な気がする…。
いや、どうせ一年以上もやっといて、ようやく100個しか書けてへんのがあかんのですけど。それとあと、どっかの佐官は最初から沖本という名字で問題なかったヮ。
まあ、あれはあれで楽しかったので、気を取り直して間明少佐と梶野少佐の馴れ初め(超捏造)でも考えよう。まず私としては間明少佐と梶野少佐は、間明少佐が二十歳くらいまでの頃、どちらともが十代の時に初めて会ったというのが希望です。それかちょうど二十歳。間明少佐の士官学校時代になります。
間明彊志は彼の身柄保証人になった救助部隊の隊長に連れられて、梶野家を訪れ、そこで衛青少年と出会います。隊長は衛青少年の父親と友人同士で、慣れない環境でふさぎがちな青年彊志の気分転換になるかなと、訪問ついでに引きずってきたのです。
衛青少年は「わぁ、義足! サイボーグ! カッコイイ!」て感じでしたが、色々あって青年彊志は「なんだこの生意気なガキは」と印象最悪、でもお姉さんは美人だなと思いました。
という風な初めての出会いが、のちのちまで尾を引いているわけですヨ。この後も何回か二人は梶野家で顔を合わせたりしてそこそこ親しくなりますが、青年彊志の士官学校生活が忙しくなって疎遠になります。そして月日は流れ、衛青少年が士官学校を卒業して梶野少尉になった頃、二人は何年かぶりに再会します。以降はずっとくされ縁が続いて十数年ということですよ。衛青はその頃から頭の回転が速く、間違っても自分で自分の足を撃ったりなどしない少年で、将来を見据えて国連の中央士官学校に進むことを決めており、既に了承を父親と姉から取りつけていた。それなのに子供扱いをやめない姉の干渉から逃れようと格闘していた、思春期のどこにでもいる、つまり大人びた口をきく嫌なガキだったと間明は思い返した。しかし、間明にしても過酷な状況で傷ついて弱った心身を見せまいと、せいいっぱい肩肘を張っていた若者にすぎなかった。
そんな二人は実に良いコンビだなと、周囲の大人たちが思っていてそのように接していたという事実が、間明彊志と梶野衛青のそれなりに長いつきあいを支える基盤になっている。ということに間明は気づいていなかったが、間明は梶野より六歳ほど年が上で、十代の少年にとって充分に大人であるように見えたことは疑いなく、それが当時の二人の関係にプラスに働いたのだとは理解していた。――と、こんな感じでひとまず記してみたんですけど、文体の模倣はそれ自体が目的になるのでいけませんね。模倣できているかどうかは別にして。
上のような書き方をすると、なぜか勝手設定の記述に熱が入ってしまいます。そんなんばっかり書いてたら、ボロが出るからダメですよ。
とりあえずそういうのはボツにして、普段の自分のスタイルでなんとか今頭にあるイメージを文章にしていけたらと思います。
ただ、梶野少佐を臆面もなく格好良くなんてのは照れが入ってしまってもう、わざとちょっとあれに書いたりしてしまうのは、なんだ、愛なのだろうか…?拍手レスです。少し遅くなりましてすみません。
28日23:10 こんにちは。いつも…の方へ
こちらこそ、こんにちは。いつもありがとうございます。
そうですか、ときめきますか。そのために、梶野少佐を布教するためにここを始めた私としては、感無量です。
私の妄想設定はまあ、『膚の下』があってのことなので、あまり気になされずむしろ是非独自に二次創作をされて欲しいと思いますが、お姉さんを受け入れていただけたことは嬉しいです。
梶野少佐がもっとメジャーになる日(いつだ)まで、細々と続けていくつもりですので、これからもよろしくお願いします。